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故岡野金之助先生の附属中へのご寄付の報告

15期 伊東 通

 4年前に亡くなられた岡野金之助先生(教え子の皆さんにはオカキンの方がわかり易い?)には生前から附属中に寄付したい旨を、私たち野球部OBに託されておられました。

 そこで、私と16期の宮澤廣幸氏が附属中の米澤副校長先生と昨年以来協議を重ねた結果、改めて附属中の正式の校章となった青海波(襟章で皆さんにはお馴染みだと思います)を校舎正面上部と体育館の緞帳上部及び演壇及び司会者台に取り付けたいとのことでしたので、寄付することになりました。それらがやっと出来上がり去る平成21年7月17日金曜日に附属中の体育館で贈呈式が行われ、私と宮澤氏が出席しました。目録贈呈は宮澤氏、オカキンの思い出を主にした挨拶は伊東が行いました。次に示すのはその折の話の概要です。

 「故岡野金之助先生(私たち教え子はオカキンと呼んでいました。無論、ご本人の前でではありませんが)は昭和28年9月から昭和58年3月まで附属中の教官として、4期生から34期生に英語を教えておられました。オカキンの授業は独特で、英語より人生論を教わったとは少なからぬ卒業生の言ではあります。又その間ずっと野球部の顧問をされていました。オカキンがバッティングピッチャーをされている姿を覚えている卒業生は多いはずです。ここにいる宮澤君は優秀なキャッチャーだったと弟から聞いています。

 ところで附属小学校から中学校に入学してまず気がついたのはその自由な校風でした。生徒を大人扱いするというか任せるという雰囲気に感動したことを覚えています。中でもオカキンは生徒をジェントルマンやレディーとして扱ったことが大変印象に残っています。

 無論オカキンは大変怖い先生ではあったのですが、生徒には不思議に人気がありました。特に女生徒には。しかし、体育祭の練習の時や朝会のときは本当に恐かったです。“きをつけえー”という大きな声が今でも耳に残っています。その瞬間、皆、これ以上ないくらい緊張しました。また、生徒のお金が無くなった時などは別の意味で恐かった。“附属の生徒にあるまじきことである・・・”と涙を流しながら悲憤慷慨するのです。

 岡野先生が亡くなられてから野球部のOB達でよく話し合ったのですが、附属中にはノブレスオブリージュ(将来リーダーたる者にはそれなりのプライドと責任感と行動が要求される)という教育理念が問わず語らずのうちにあったのではないか、そしてその体現者の一人がオカキンではなかったかということがあります。

 “Play hard. Do your best for the team!”

 フェアプレイ、スポーツマンシップなどオカキンの教えは無意識のうちに私達OBの行動指針になっていることは確かです。
 オカキンは在職中も、又退職されてからもずっと、附属中が、附属中の生徒や卒業生のことが好きで好きでたまらなかったのだと思います。今日ここにやっと岡野先生のご遺志を実現することが出来、私も宮澤君もほっとしております。皆さんもどうか附属中生としてより良い世界の実現を目指し、プライドと責任ある行動とをとられることを希望してやみません。」

校舎の新校章

寄贈された演台一式

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