横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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インタビュー 第2回 新堀 典彦さん (7期)

1. 学生・サラリーマン時代

附属時代(附小、附中)の思い出を教えて下さい。

戦後すぐ附小に入りました。その頃は茅ヶ崎から通っていて遠かったのを覚えています。兄も附属に通っていました。私が小学1年の時に6年生でしたね。そして私が7歳の時に附属中学校ができました。当時もそのまま中学校に上がれましたね。小丸先生、白井先生、河地先生、小島先生に教わったことを覚えています。1クラス20人程度の少ない学級でした。人数が少なく先生の目が届く学校にと親が附属へ行かせたのだと思います。当時はそれほどレベルも高くありませんでしたからね(笑)。

しかしとてもできが悪かった。いわゆる番長、ガキ大将でしたね。とても威勢がよかった。よく放課後立たされたり掃除をさせられたのを覚えています。修学旅行や遠足などのことはほとんど覚えていませんね。一番よく覚えているのは1つ下の女の子を追っかけていたこと。名前もしっかり覚えていますよ。喫茶店によく一緒に行ったりして恋愛ごっこしていました。 今はもういいおばさんだろうな(笑)。だから学校に行くのはとても楽しかったですよ。

高校、大学時代について教えて下さい。

高校、大学時代はよく遊んでいましたね。部活ではバスケットをやっていたのですが途中からゴルフ部に移りました。大学時代には自動車にゴルフバッグを積んでよくゴルフに出かけていましたよ。あとはよく大学の近くで麻雀をしていましたね。喫茶店を経営したりもしていました。大学を卒業しても3年くらいやっていましたよ。

サラリーマン時代について教えて下さい。

大学を卒業して銀座にある広告会社に2年間勤めました。それからコンピュータの受託計算の仕事に就きました。25、6才の時に総務部長を務め、横浜市の水道料金の調停業務を引き受けていました。その後、知人の飲料品関係の会社を経てコーヒー関係の仕事をしました。いろいろな仕事を経験しましたね。そして20年近いサラリーマン生活を経て昭和58年に42歳で初立候補しました。

同窓生インタビュー 新堀 典彦さん(7期)
  1. 学生・サラリーマン時代
  2. 議員として
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