横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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インタビュー 第4回 横須賀 薫さん (3期)

1. 附属中時代の思い出について

伊東 久し振りに立野の丘に立たれてどうでしたか?

横須賀 昔のことが思い出されますね。私は5年生の時に北方小学校から附属小学校に転入してきたのです。戦争中で、中学校で使うことになる旧コンクリート校舎に焼夷弾が落ち、相当焼けてしまっていて怖いような感じのところでした。でも山の上だったので海が見えてとてもいいところでしたね。中学校を卒業して緑ヶ丘高校に進学したのですが、これがまた山の上でした。学校生活はずっと山の上だったので、学校というのは山の上にあるイメージです。 それにあの頃はこの周りでよく遊びました。坂道の向こうは焼夷弾の焼け跡と麦畑があり、戦争ごっこ、三角ベースなどで遊んでいました。私は新山下町というところから一時間近く歩いて通学していました。大和町から坂道を登るのが楽しかったですね。今だったら辛いけど、子どもの頃は苦になりませんでした。


伊東 当時一番思い出に残っている先生はどなたですか?

横須賀 それはやはり河地先生です(笑)2年生の時に新卒、新任でいらして、私の記憶では最初の授業を私のいたクラスで行ったのです。そのときいきなり「フランス革命が起こったのは何年だ?」って聞いたのですよ。いくら中学生でも、いきなりフランス革命の年代なんて出てくるわけがないじゃないですか。だけど生意気でしたからね、私たち…フランス革命についてはボヤっとわかるのだけど、答えられない。残念がっていたら、河地先生は黒板に1789と書いて、どうだ〜ってね…(笑)

河地 いや、これはかなり重要な年号ですよ(笑)

伊東 河地先生おっしゃっていましたよね。昔から附属中の生徒は準備をきちんとしていかないと大変だって。

河地 厳しかったですよ。最初はいじめられた(笑)

横須賀 あとは大矢武師先生ですね。2年生まで国語が好きではなかったのですが、3年生になって大矢先生に教わって好きになりました。大矢先生は大学生が使う物じゃないかっていう文学史の分厚い本を使って、私はもうそれが面白くて一生懸命そればかり読みました。それから文法もやり始めて、言葉に法則があるということを始めて知り、それも面白くてね。そのうちに国語ができるようになっちゃって…そうしたら他の勉強もできるようになるのですよ。不思議ですね。附属中は生徒を背伸びさせる学校でした。

伊東 生徒を大人扱いするのですよね。引っ張っていくのではなく、押し上げていくように。

横須賀 河地先生と大矢先生に出会えたことが私の財産になっています。


伊東 行事などの思い出はありますか?

横須賀 のこぎり山の遠足ですね。

河地 それは私が計画したのですよ。

横須賀 行きに浦賀から船でのこぎり山へ。もうその時から荒れていたのですけど、帰りは荒れちゃって荒れちゃって…あんなに怖い思いをしたことはないですよ。

河地 あのときは結局大きい船が接岸できなくなって、小船で運んだのですよ。

横須賀 先生、それよりもあの船から船員が落ちたじゃないですか!

河地 落ちた、落ちた。もう波が船より高くて…。

一同 えぇ〜!!(笑)

横須賀 小島先生が、生徒が落ちたと思って真っ青になって走っていったのを今でも覚えていますよ。

河地 あの遠足が原因で、以後行事で船は使わないことになりましたね(笑)のこぎり山へもそれ以来行っていません。

横須賀 船でのことが強く印象に残っていて、のこぎり山のことなんて何も覚えていませんよ(笑)あの船が沈んでいたら大変なことでしたね。附属中がなくなっていたかも…全滅で(笑)今でもこの船の体験は夢に見ます。よほど怖かったのでしょうね。

伊東 衝撃の事実ですね(笑)今だから笑い話になるけれども…。

伊東さんと横須賀さん

同窓生インタビュー 横須賀 薫さん (3期)
  1. 附属中時代の思い出について
  2. 大学入学後について
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