横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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インタビュー 第8回 村井 功誠さん (5期)

1. 附属中時代

附属中を卒業されてから今年でちょうど50年ですが今のお気持ちを聞かせてください。

 今、5期の人たちは3年前から月に一度集まっているんですよ。ですから、50年も経つのに当時の仲間に会えるというのはとても新鮮なんです。(5期の)誰々の展覧会をやっているという情報がふとはいってくると、じゃあ皆で行こうかなんてことになってね、非常に楽しいですよ。しかも、地元にいる方だけじゃなくて、たまに長野や名古屋から来てくださる方もいるんですよ。こういう集まりは他所にはないと思います。

 そして、50年たって「附属中を卒業してよかったな」と感じています。今のお母さん方は子供にいい学校に行かせたい、って教育ママのようなことを言うけれども、私はそれとは違う大事な深い部分が附属中にはあったと思っています。

当時の附属中の印象

 他の公立中学校と違って制服を着ていたので、電車通学で帽子をかぶって革靴を履いていたから他の人に少し驚かれたり、まわりの人たちから行儀がいいね、と言われたりしていました。外からお坊ちゃん、お嬢ちゃんとして見られていたと当時から感じていましたね。

中学時代の思い出について

 当時、私は野球少年でね、まだグローブもバットも十分に無い時代でしたけど野球部に入っていました。いろんな学校と試合をして対戦したのですが、一度も勝ったことがなかった(笑)相手の中学の生徒は体を鍛えているから強く、大きく見えましたよ。私はキャッチャーをしていましたから年中、相手の選手が目の前のホームベース上を通り抜けていって「また、来たか・・・」って敵が通るたびに悔しい思いをしていましたけど、ここで我慢強く耐えたことが私の人生の中で精神的に大きく影響を与えくれました。今になってみれば、附属中で弱い野球チームに属したことが私の人間形成にとって役に立ったと思っています。

 勉強のほうはいつも後ろから数えたほうが早かったですけど、でもその代わりに上級生から下級生まで皆、私のことを知っていましたよ。先生も「お前だけは忘れられない」って言ってくれてね、要するにそのくらい暴れん坊だったんです(笑)時間さえあればいつも外で暴れまわっていました。でも、教室に帰ってくると急に別人のようにおとなしくなって「運動場で暴れているときのように教室でも元気だったらいいのになぁ」なんて先生に言われるほどでした(笑)

インタビュー風景

同窓生インタビュー 村井 功誠さん (5期)
  1. 附属中時代
  2. 中学卒業後〜鎌倉ハム村井商会について
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