横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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インタビュー 第12回 小林 和茂さん (32期)

1. 中学生活

小林さんは、附属小出身で、附属中では32期生ということで。どのような中学生だったのでしょうか。思い出に残った先生とかはいらっしゃいますか?

思い出に残った先生ですか・・・全員ですね。今でこそ学校の生徒は少ないですけど、あの当時では3クラスの学校なんて、公立ではなかったですから。各クラスの担任が、他のクラスの生徒のこと―名前はもちろん性格も全部知ってましたから。他のクラスの先生も含めて、全員、強烈に印象に残っています。
友達と一緒にくだらないことしてましたよ。画鋲の針だけ抜いて、その画鋲の箱を持って、歩いてると向こうから下級生が走ってくるじゃないですか、それを見計らって「あっ!」とか言って撒き散らして驚かしたりして、そんないたずらをしてましたね。
それと、32期は立野校舎での最後の卒業生だったんですよ。次の年からこちら(弘明寺校舎)に引っ越しがあるということなので、卒業してから友人と一緒におしかけて、引越しを手伝ったんですよ。

逗子から立野まで通うのは大変ではありませんでしたか?

当時は京浜東北線(根岸線)が磯子止まりだったんですよ。なので、横浜まで出て横浜から京浜東北に乗ってくるっていう経路だったんですね。
それで、1人で学校に行く初日に自分の母親に、「横浜駅で、何番線のどの電車に乗ればいいの」と聞いたら、「そのへんの人に聞きなさい」と言われて、本当にそのへんのおじさんに聞いて行ったっていうのを覚えてますね。(笑)

部活動は何をされていましたか?

Mr.板倉の自然科学部でした。いろいろ電気の実験をしたりとか、温室で植物を育てたりとか。我々は特に電気系が好きだったんですよ。ラジオをつくったりとか。
部長が、近藤さんといって、通産省の女性初のキャリアになった方で、この方がむちゃくちゃユニークな方でしてね。部長がいろいろ買い物をしてこいとリストを書いてくれるんですけど、電気を通す部品でバナナクリップというものがあるんですけど、部長がそれをバナナチップって書いて。お店で聞いたら「いや、それはお菓子じゃないですか?」って言われて、バナナチップを買って帰ったら「これは違う!」って言われたことがありましたね(笑)
あと文芸部にも入っていました。小説とか書いてましたね。
すいかずら(忍冬)っていう文集を定期的に出していました。

32期はユニークな人の集まりでしたね。ユニークといえば聞こえはいいですけど、変人ばっかりでしたよ(笑)中学生ぐらいだと、中学校の生活が世界の全てじゃないですか。「世の中ってこんな変な人ばっかりなのかなぁ」と思いましたよ。同期の友人とはいまでもしょっちゅう会ってますね。塾の先生をやっている友達は娘の面接の練習をしてくれたりとか、歯医者さんで歯を見てくれたりとか。選挙に出ることを薦めてくれて、選挙戦のときには参謀をやってくれたのも同級生の友達(市野太郎氏)なんですよ。

同窓生インタビュー 小林 和茂さん (32期)
  1. 中学生活
  2. 高校でアメリカへ留学・大学では仏教を
  3. 会社員からヘルパー、そして市会議員へ
  4. 選挙、そして当選
  5. 議員としての生活
  6. プライベートについて
  7. 附属中という学校に入って
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