横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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本田 清先生との対談

質問者1学年3クラス130人程度の規模で教える先生にとってのメリットは何ですか?

本田先生1学年3クラスですと、全部その学年については自分が教えるということになるので、それはその学年全体を見渡す上ではとってもいいことですね。
今、高校は1学年6クラスありまして、帰国クラスがあるので必ず複数でもたなければいけないことになっていて、ひとりで学年全部を見ることができないので社会科の場合は最低三科目を教えることになっています。
そういうことでは附属中は学年まとめて「この期は私」ということができたので、すごくやりやすかったです。

質問者副担任制はありましたか?

本田先生基本的にはクラスの倍教師がいるので、5人の場合もあるのですが大体6人で学年を組んでいますから、1つのクラスに担任1人、副担任1人という体制ができています。

質問者総代だったとお聞きしましたが?

本田先生総代は岩間副校長が「新採用教諭の総代で辞令をもらった」とおっしゃっていたので、「私も総代だったよ」と言ったら、「なぁんだ本田さんと一緒か」となって。横浜市の新採用教員ですね。26日に博士の学位を戴くのですけども、博士論文の核にしたところが「環境プロジェクト」なんですね。
附属でやったTOFY「環境プロジェクト」を核にして論文を構築しました。「環境プロジェクト」に至るまでは、「防災プロジェクト」があり「フードプロジェクト」があったのですが、私が特に環境に力を入れてきた16年間を中心にまとめて、実践から理論を構築して、その理論から論文を書きました。

質問者何期生からそういうのをはじめたのですか?

本田先生総合的な学習がはじまったのは52期ですが、社会科の研究を始めたのは「ケータイプロジェクト」です。「環境プロジェクト」が今年卒業した59期の代です。6年間やっています。
中学生であれだけ自分から社会との接触を持って勉強できるというのは、本当にすごいことだと思います。私の修士のときの研究発表が「社会参加型教育」で、社会に積極的にアプローチしていく教育に注目して、博士のときはそのなかの環境にしぼって研究をしました。核にすえた「環境プロジェクト」は「フード」「防災」の流れを踏まえて環境にアプローチしました。附属のTOFYでやっていたことは、博士論文になる価値になる勉強をしていたということです。卒業生に対していろいろアンケート調査を行ったのですが、激励のメッセージと共にそれが送り返されてきて、めげそうなときはそれを読んで頑張りました。

本田先生勉強ができることはレベルが高いかというと必ずしもそうではないと思います。ペーパーで図れる学力が高くなくても、社会の中で役に立つ仕事ができる人が非常に多くて、附属の場合はもちろん優秀な子もいますけど、中学時代の学力がそんなに良くない子でも、社会の中で活躍している子はすごく多いのですごく楽しみにしています。失敗体験は大事だと思うのです。
入りたい高校に落ちて、行きたくない学校にいったということがあると思うのですが、行きたい学校に行った子と行きたくない高校にいって頑張った子のどっちが幸せか考えると、もちろん両方あるとは思うのですが、行った先で頑張った人が幸せだと思うのですね。
自分の目標を貫くことが大事だと思います。すべてうまくいけばいいってだけじゃなくて、どうすればうまくいくのかということを考えてできればいいのかなと思います。
30代で、大学院を受けたことがあって、語学試験で落ちてしまって大いなる挫折経験をしたのですが、いつか取り返してやろうと思っていました。
55期を卒業させるときに、中村校長から大学院のお話を聞いて、この経験をいかしてやろうと思い、4年博士課程までいきました。
もし一回目で大学院に行っていたら、修士課程まで行ったとはおもいますが、博士課程は取らなかったと思います。落ちたから今の私があると思います。成功すればそれに越したことはないと思いますが、成功して慢心してしまえばそこまでだとおもいますが、失敗して「なにくそ」と思って頑張ればその後の自分を輝かせると私は思っています。

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