横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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インタビュー 第14回 市野 太郎さん (32期)

1. 学生時代

インタビュアー附属中学校で学習をしたなかで、今でも役立っていることは何ですか?

市野とにかくバイタリティー(活気)のある生徒が多く、みんなで力をあわせて頑張ろう、努力しようっていうところが附属のいい所だったと思いますし、あの時代の三年間があったから僕は今政治家としてスタートを切ることが出来たと思います。
また、僕は三年間野球部に所属していて、部長をしていました。そういう意味で汗も流しましたけれども、本当に一番の思い出って言うのは、合唱コンクールや学芸会や体育祭であり、その中で培ったものが今あるという事です。

インタビュアー共学ということで、在学中に好きな人はいましたか?

市野こういう話は、お酒を飲みながらの方が話し易いんですけどね(笑)好きな人は居たけど、実った事はありません。告白したことはあったけど、ふられました。
僕たちのころは、あんまり付き合っている人が居ませんでした。それでも当時でも、誰が付き合っているとかそういう会話はありました。 
僕はA型でシャイなんです(笑)なので、女性のひとと学生時代はあまり話せなかったです。

インタビュアー若松先生は、僕たちにとっては大ベテランの先生でしたが、市野さんにとってはルーキーの先生だったわけですよね?

市野はい、そうです。

インタビュアー若松先生は、どんな先生でしたか?

市野数学の先生だったんですけど、今とあまり体型は変わってないです。でも、もうちょっと体格がよかった気がします。ちょっと下を向きながら授業をしていたのが印象的です。
あと女性に優しかったです。かといって男性には厳しかったわけじゃなかったけれど。
授業はすごく楽しかったです。それと、若松先生は僕が三年生で部長をやったときに野球部の顧問をして頂きました。

インタビュアー附属中で思い出に残っているエピソードはありますか?

市野時計を10分間進めておいて、時間になったらテープで録音したチャイムの音をながしたら本当に先生が帰っていったとか、友達が居ない間に友達の弁当を食べてしまったとか(笑)そういうくだらないこと、笑えるようないたずら、そういうのをみんな求めていました。勉強以上にしっかり遊ぶことを真剣にやっていたかな・・・?
その分僕らの時代は怒られるときはすごく怒られました。

インタビュアー中学と高校では特別な違いはありましたか?

市野高校ではみんなバイタリティーが少なかったです。合唱コンクールでも、中学ではすごく盛り上がったのに、高校に入るとみんないい加減で・・・。あと中学で面白かった人が、高校行くと変人扱いをされたり、中学で普通だった人が逆に高校にいったら大ブレイクしちゃうとか(笑) 学校に下駄履いていった人とかいました。
とにかく附属から来た人は変わり者だって言われてました。

インタビュアー好きな教科は何でしたか?

市野 数学と理科でした。大学にいっても数学科に行ったんですけど、理系の人間だったんですかね。

インタビュアー同期会ではどのようなことが話題にのぼりますか?

市野 この間の同期会で70人以上集まったんですけど、三十年もたつと背負(しょ)っているものがそれぞれあって、色んなつながりが出てきます。例えば、「お前、こんな仕事やっているのか?
じゃあ、これ頼むよ」とか、同級生でお店を経営している人が居たらそこに集まろうとか、とにかく人脈を作って、年に何回も会っています。税理士とか弁護士とかに相談することがあるけれど、同じ税理士、弁護士でも一番頼りになるのは附属の仲間です。社会人になって付き合うっていうのは、仕事の関係の付き合いだから本当に心を許せるという人は、やっぱり中学の同級生ですね。本当にすごく、仕事を通じてみんなが繋がっています。

同窓生インタビュー 市野 太郎さん(32期)

  1. 学生時代
  2. 政治家として
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