私が附属中学を選んだのは、公立の中学校よりも面白そうな中学に行きたかったことなどが理由です。附属中学だと電車に乗って通えますしね。それから、同じ受験するにしても、なんとなく男女別学の学校はいやだったんですね。男女共学の方が面白そうだな、と思いまして。あと実は、私は附属小学校の受験に抽選で落ちているんですよ(笑)そのことも附属中学を選んだ理由ですね。
当時附属中学は1学年2クラスで、非常に家族的だった印象があります。学年が違っていてもみんな知っていますし、先生も含めて仲間内のような雰囲気がありました。いわゆる内部生・外部生の意識もなくて、「附属一家」という感じでした。
「夏期集落」で箱根に行って、姥子山荘でバンガロー、飯ごう炊さんをやったのは印象に残っています。 それから、今の光陵高校があるところに横浜国大の農場があって、そこでトマトを植えたり、収穫したりしたのが楽しい思い出に残っています。 それと行事というわけではないのですが、教育実習生との思い出も良く憶えています。今から思うと、生意気なことを言ってお気の毒なことをしましたが、附中の大人びた生徒が教育実習生を「試してやろう」という感じで、言ってみれば「いじめの対象」にしていましたね(笑) 大人びたと言えば、あこがれの人をみんなで決めていたりもしましたね。「私はあの人がいい」とか。だいたい先輩にあこがれていましたね。実際、附属中学の生徒同士で結婚することも多くて、結構ナンパな風情も多い学校でしたよ(笑) 私も行事の時にあこがれの人をマークして話をしたり、近くに寄ったりしていました(笑)
そうですね、強いて言えば、自立心、将来への希望を持つきっかけにはなったかもしれません。附中時代に、自分で何かをやる、という発想は出来ていたように思います。 とにかく、附中時代は、困ったりつらかったことは本当になく、楽しい思い出ばかりなんです。
夏期集落仙石原旅館にて(1961.7)
千葉さんは後列の一番右