そうですね、ぼんやりとは弁護士を意識していたようには思います。ただ、最初は、「自分で何かが出来る学部はないか」とか、「将来つぶしが利くのはどこか」とか考えて法学部を選んだのが大きかったと思います。法学部がしばられない活動につながりそうな印象を持っていたこともありました。
実は私が大学生の頃は、いわゆる全共闘運動が華やかな時期で、中央大学はその中心の大学でした。ですから、大学生活の中で、学生運動が占める割合が大きかったですね。当時は学生全体が反権力という感じで、学校が閉鎖になることも多かったですし、実は授業に行くよりも喫茶店とか、雀荘とか、デモに行くということも多かったんですよ(笑)そのように学校が閉鎖になることも多かったものですから、何度か期末試験も中止になったりしましたし、私の卒業した年は卒業式が中止になってしまったんです。窓口に卒業証書をもらいに行ったことを今でも憶えています。 当時は学生運動は世界的な動きでした。そのころの学生世代は、いわゆる大人社会への懐疑心などがあって、社会に対して学生の感性で動かしていこうという強いエネルギーがあったように思います。私自身も、そのころのエネルギーは、その後の仕事・活動に対して何らかの大きな基礎になっているように思います。
大学在学中は、将来のことは考えつつも、学生運動まっただ中で、その間にあっという間に4年間が過ぎてしまったような感じでした。 司法試験を受験することを本格的に考えたのも、実は大学卒業間近のことで、「どこかの組織の中で生きるというのよりも、やはり司法試験をやってみよう」と思って司法試験の勉強を始めました。
私が初めて司法試験を受けたのは、勉強を始めて1年くらいの時でしたが、全然出来ませんでした。 試験会場の代々木にあるオリンピック記念公園から帰るとき、ほとんどもうろうとしたような感じで帰ったのを良く憶えています。 当時は最も合格率が低かった時期で、私の周りにも大変苦労して勉強を続けている方が大勢おられました。
司法試験に合格すると、「司法修習」といって、弁護士、裁判官、検察官という法律家になるための研修が、当時は2年間、2003年現在では1年6ヶ月間あります。 その2年間の司法修習を経て、横浜の「神奈川総合法律事務所」に所属することになりました。
取材中の千葉さん