小学校は横浜市立の大岡小学校でした。今では信じがたいですが、僕らの時代は1学年50人のクラスが11クラスありました。学校のキャパシティーに比べて生徒の数が多かったので、早番・遅番という、1週間おきに午前中に行く場合と午後にいく場合がありました。
これをしばしば間違えまして、昼ごろ行くと授業が終わってるとか朝行くと昼からの授業とか、そういう時代でした。
附属中学に入って一番強く感じたのは、附属中が2クラスしかなかったことで、これは非常に新鮮な感じがしました。
小学校では絵が好きだったですね。当時は、大岡小学校の先生であった日本画家の片岡球子先生から3回褒められて、これは私の60年の間の最大の勲章だと思っています。
私が5年6年の時の担任の先生が横浜国大を卒業された先生で熱心に指導してくれて、附属中への受験をすすめられました。
中学で最初に面白かったのは、入学試験の最後にやる抽選ですね。あの抽選は子供がひくので自己責任の世界だと思いました。誰が引いたかは覚えてるのですが、結構盛り上がっていましたね。
入学試験そのものも非常に印象に残っていて、算数が出来なかった。今思うと2進法の問題で足し算をしたりする問題だったのですがまったく見当がつかず、帰ってきてから父親に聞いたら2進法だと教えてくれました。
面接試験もあって、4つ足の動物の絵を見せて、その共通点や違う点を答える試験でした。これも後で考えるとひずめが偶数とか奇数とかそういう事を聞きたかったと思いますが、全然トンチンカンな事を答えてしまいました。それでもまぁ通ったのですが、試験は印象的でした。