1年生の時に外国人のホイットマンという独身の若いアメリカ人女性の英語の先生がいましたね。英会話の授業でたまねぎやものさしを持ってきて、熱心にやってくれました。ここが新鮮でしたね。
2年生の時は、全然違ったタイプのテキサスの元気な中年の女性が来て、彼女は凄かったですよ。教卓の上に腰掛けてバリバリ言うもんだから、みんなストライキを起こしていじめたことがありました。そうしたら本人が凄い怒りまくって、岡野先生が飛んできました。笑
でもそういう時間に真面目にやっていた生徒はけっこう英会話が上達して、高校の時に留学した同級生が何人かいました。
河地先生の授業は自分で考えさせるような授業で、今でも覚えています。日本史の奈良時代の試験で「大仏の造営時に労働力を調達したが、当時の農民の立場で大仏建立に引っ張り出されたことについて書け」という問題で、新鮮でした。自分で考えて、積極的にやればリターンが大きい授業という感じがしましたね。
授業そのものも面白くて、その後私が社会科学系に進んだことについて、多少影響があると自分でも思います。
理科の実験で小島先生におこられた親友がいました。蛙の解剖で解剖の後で蛙の脚を焼いて食べちゃったのがいたり、水銀を使った実験装置にゴミかなんかを入れちゃったのがいて、カンカンに怒られました。笑
それから、中間試験や学期末試験でクラス別に全員の得点が発表されていましたね。名前は出てなかったけどもみんなで当ててしまったりして。科目別に良く出来た子を担当の先生がみんなに紹介するので。今だったら親御さんが黙っていないでしょうね。
全体的にはリベラルな感じでした。