横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校同窓会

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若松先生との対談

2. 附属での授業

吉田 若松先生は数学の先生ということで、私が20期ですから、23期が最初に担任を持たれたということで。

若松 そうです。僕が中学にお世話になったとき昭和45年で、22期生が3年生だったんです。23期が2年生で、そこの副担任になって、人事の関係で、その次の年に、3年の担任になったんです。だから、23期生は3年生のときだけなんですね、担任なのは。 3年間担任を持ったのが…26期、30期、33期、36期…ですね。

吉田 私たちは寺田先生に数学を習ったんですが…。

若松 寺田先生と入れ替わりですね、私は。

吉田 最初は附属での授業はどうでしたか?

若松 附属での授業は…そうですね、3年生なんかは、授業をやってると、こっちもまだ若くて経験がなかったから難しい問答をやりあうと子供に負けそうな感じはしてましたね。知識の範囲では全然問題ないんですけど、そうじゃなくて、非常に、気持ちがね、黒板に書いてるときとか、気圧されそうでしたよ。

吉田 うちらなんかも、教科書以外の問題集を別に持っていて、友達同士で解き合うみたいな傾向が当時はあったんですけど、やっぱり、自力というか率先してやっていくという風潮はまだ…。

若松 それはまだ今もあるけれど、昔の子の方が、そういう意味の知的好奇心は強かったのかもしれませんね。いまの子の方が忙しい感じがするんですよ。昔の方があんまり忙しくなかったから、そういうものに時間をかけてとりくめた、みたいなのがあるんではと。いまはどの教科もレポートとかいろんなものがあって、結構忙しいみたいで。

吉田 やることが多すぎる、ってことですかね。

若松 そうそう、やることが多すぎるから、一つのものに打ち込めない。打ち込めないというか打ち込む時間がかけられない、というのが正しいのかもしれないけど。今だと、ポートフォリオとかあるじゃない。

岩崎 はい、ありましたね。

若松 みんな、各教科やってるから、大変なんだよね、いまね。

岩崎 今もまだ続いてるんですか?

若松 やってるよ。あれって分厚いから、あれをかばんに入れると鞄が切れそうなぐらいになっちゃうんだよね…。

若松先生との対談
  1. 附属への転任
  2. 附属での授業
  3. 学校行事の変遷
  4. 現在の附属中と学校教育
  5. 附属の絆
  6. 校舎の歴史
  7. 終わりに
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